せと弘幸への応答文

>3月に仙台でニアミスしたのをきっかけとして

せと弘幸Blog『日本よ何処へ』

在特会」宮城発足記念集会 (3)

 「反在特会」運動の誤りと対話の可能性(A)

http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52459344.html#comments
に対する応答文(過去のものです)

丁寧に書かれたので、ジャムおじさん(せとさん)の正式な声明を黒い彗星として出そうかなと思ったけど、やめた。アホらしい。
ネトウヨジャムおじさんに興味はないわ。

声明などジャムおじさんに出す前に、日本社会の市民に演説で訴えるわ。
フランスの国民戦線というのは、ルペンの団体だっけか?鈴木邦男さんはルペンと知り合いじゃなかったっけか・・・

ま、確かに利権構造など関係ないなぁ。少なくともここの住人と俺は。 ただ、このままだと現在の若い同胞と日本社会のこどもたちが、希望を失う、相互不信の世界へ引きずり込まれる可能性があるので、社会の良識の構築、コモンセンスの構築のために運動していると思う。物と人が複雑に絡み合い、切り離されていく混沌としたポストモダン現代社会において、抵抗のための怒りと冷静さを取り戻すためにベタなネタを嗤うことで、冷却システムを機能させているのが、当コミュであるし、黒い彗星の基本活動方針であると、 ただのコミュの管理人の私は夢想する。せとと桜井と何か共有できる問題意識があるとすればキーワードは「現代社会の矛盾」と人の尊厳がないがしろにされ、日本人、マイノリティ関係なしにみながアイデンティティの不和の危機に直面する潜在的可能性にさらされていることであるだろう。しかし、彼らはそのような危機を具体的に分析したのだろうか。無駄に人々を扇動させ、ヘイトスピーチによる自己承認(コミュニティ内とネット)と自己実現(差別それ自体ではない、社会運動もどきの自己表現による)の 快楽のツールを確立し、怨念と鬱憤を晴らし、自らが力(power)を掌握できたという実感とカタルシスを享受できるように仕向けているのではないだろうか。

そんな輩と連帯する共通認識の確立に尽力するなら、早く街でわれわれも街宣しリストカッター、サバイバー、うつ病にあえいで、絶望の淵で涙も枯れてしまった若者と借金苦で苦しむ社会構造の犠牲者、自殺志願者と不安定な労働と尊厳が不足した社会に自己承認もできず、死刑を望み通り魔犯罪に走る青年や反社会的行動や遊ぶことで、自らの存在を確認するヤンキーども、将来が不安で孤独死しそうな人々、老人ホームで死を孤独に待つご老体たち。家族に虐待されている人々。シングルペアレントで苦しむ家族。 家もなく寒さで凍え、都市の人間の冷たい視線に晒されているホームレス国の政策決定と裁量で生死が決まるあらゆる障がい者の方々・・・

・・・列挙した人々だけではないが、現代社会の矛盾を感じるなら、このような人々のことを脳裏に浮かなければならない。そして、彼らのことと明らかな矛盾した構造を見つけ、行動し、自制と自省でもって運動することが、今求められるべき運動であると思う。そして、ただ運動で終始するのではなく、市民社会の意識改革という抽象的目標のみならず、具体的に権力を揺り動かし、具体的な政策提言や実現を目指すことが運動の最終段階であるだろう。 そして、確立した政策に対しても、つねに考え、見守ることの持続性が今必要であるだろう。

2010年03月29日

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http://blog.livedoor.jp/baisemoi_bullet/archives/65320223.html